MENU

「もう無理…」共働き夫婦を蝕む義母のアポなし訪問と“家が汚い”攻撃からの解放

シンクには朝食の食器が積みっぱなし、リビングの隅には子どものおもちゃが散乱している。疲労困憊の体で帰宅した私を待つのは、そんな共働き家庭の日常風景だ。しかし、私の心には、この散らかった部屋以上に重くのしかかる「いつ来るかわからない恐怖」が常にあった。義母のアポなし訪問だ。

「ピンポーン」。突然のチャイムが鳴るたびに、心臓が跳ね上がる。玄関を開ければ、満面の笑みを浮かべた義母が立っている。その笑顔の裏に潜む「検閲」の視線を感じるたびに、胃が締め付けられるようだった。義母はいつも決まって、部屋を見回し、そして一言。「あら、共働きだからって、家が汚いわね」。その言葉が、私の心に深く、鋭く突き刺さる。まるで、私が主婦失格だと言われているようで、全身の力が抜けていくのを感じた。

夫に何度かそれとなく相談したこともある。「お義母さん、突然来るのはちょっと…」と切り出せば、夫は決まって「まあ、悪気はないんだから」と、まるで他人事のように聞き流す。その度に、私は深い孤独感に襲われた。「なぜ私だけが、こんなに追い詰められているんだろう?」「夫は、私の苦しみを少しも理解してくれないのか」。心の中で叫んでも、声にならない思いが胸に広がり、涙腺が熱くなるのを必死に堪えていた。

義母が来る前は、まるで嵐が来る前のようだ。仕事で疲れているにも関わらず、夜遅くまで掃除機をかけ、散らかったものを押し入れに詰め込み、完璧を装う。しかし、どんなに頑張っても、義母の鋭い視線は小さな埃や、完璧ではない部分を見つけ出す。そして、放たれる嫌味。「これじゃ、落ち着かないでしょう?」。その言葉を聞くたびに、努力が全て無駄になったような虚無感に襲われ、自己嫌悪の淵に沈んでいった。「もうダメかもしれない…このままでは、私が壊れてしまう」。毎日のように、そう自問自答を繰り返していた。

ある日、私は鏡に映る自分の顔を見て、はっとした。クマがひどく、目に生気がなかった。このままでは、大切な家族との時間も、自分自身の心も、全てが擦り減ってしまう。私は決意した。この「見えない鎖」を断ち切る時が来たのだと。義母の言動は、私自身の価値とは何の関係もない。大切なのは、私と夫、そして子どもたちの心が穏やかに過ごせる空間を作ることだ。完璧な家事よりも、心穏やかな日常を優先する。そのために、私はまず夫と本音で向き合うことから始めた。

夫には、義母の言葉が私にとってどれほど精神的な負担になっているか、そして夫の無関心な態度が私をどれほど孤独にさせているかを、感情を抑えつつも、正直に伝えた。最初は戸惑っていた夫も、私の涙ながらの訴えに、ようやく事の重大さを理解してくれたようだった。そして、二人で義母との関係性を見直す話し合いをすることになった。

私たちは、義母に直接ではなく、まず夫から「事前に連絡をくれると助かる」という旨を伝えることにした。最初は抵抗があったが、これは義母を拒絶するのではなく、私たち夫婦の生活リズムを尊重してもらうための「境界線」を引く行為なのだと自分に言い聞かせた。そして、完璧な家事から少しだけ手を抜く勇気を持った。家事代行サービスを週に一度利用する、ロボット掃除機を導入するなど、できる限りの外部サービスも活用し始めた。完璧を目指すのではなく、「快適に暮らせる程度」で十分だと割り切ることで、心の負担が驚くほど軽くなった。

もちろん、すぐに全てが解決したわけではない。義母からの小言がゼロになったわけでもない。しかし、私はもう以前のように、その言葉に深く傷つくことはなくなった。夫が私の気持ちを理解し、味方になってくれるという事実が、私を強く支えてくれたからだ。そして、何よりも、アポなし訪問に怯え、慌てて掃除をする日々から解放されたことが、私の心を大きく自由にした。リビングで子どもと笑い合う時間、夫とゆっくりとコーヒーを飲む時間。以前は感じられなかった、穏やかで満たされた日常が、そこにはあった。義母の言葉に怯えるのではなく、自分たちのペースで、自分たちらしい家庭を築く。その一歩を踏み出したことで、私の世界は大きく変わったのだ。

目次