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「フルタイムワーママすごい」という言葉が、私を追い詰めた理由

午前4時03分。

アラームより3分早く目が覚める。もう体が覚えているのだ。この時間に起きなければ、全てが回らない。

キッチンに立つ。冷蔵庫を開ける。昨夜、洗い物を終えてから詰めた弁当箱の材料。夫の晩酌のグラスが、まだシンクに残っている。

「あとでやるから」

そう言ったまま、寝室に消えた夫の背中を思い出す。

弁当を作りながら、洗濯機を回す。味噌汁を温めながら、子供の学校のプリントに目を通す。朝食を並べながら、自分のメイクを済ませる。

全てが「ながら作業」だ。

立ち止まったら、終わる。

会社では「お子さん、また熱ですか?」という上司の声。学校では「お母さん、来週の懇談会、ご出席いただけますよね?」という担任の確認。夫からは「今日、飲み会なんだけど」というLINE。

誰も私に「休んでいいよ」とは言わない。

深夜0時を回った。やっと一人になれる時間。

スマホの光だけが部屋を照らす中、私は検索窓に打ち込んでいた。

「フルタイム ワーママ すごい」

画面に並ぶのは、キラキラした記事ばかり。

「ワーママは時間管理の達人!」
「フルタイムでも笑顔で子育て!」
「家事も仕事も完璧にこなす秘訣!」

私が知りたいのは、そんなことじゃない。

私が知りたいのは、「なぜ私だけがこんなに苦しいのか」という答えだった。


目次

「すごい」という言葉の正体

ある日、職場の先輩が言った。

「◯◯さんって、フルタイムで働いて子育てもして、本当にすごいよね」

その瞬間、私は凍りついた。

「すごい」という言葉は、褒め言葉のはずだ。でも、なぜか胸が締め付けられる。

帰り道、その理由が分かった。

「すごい」という言葉は、「それが当たり前じゃない」という前提で成り立っている。

つまり、フルタイムで働いて家事も育児も全部やるのは「異常なこと」なのだ。でも、社会は私に「それをやれ」と要求している。

矛盾している。

そして、もっと恐ろしいことに気づいた。

「すごい」と言われるたびに、私は「もっと頑張らなきゃ」と思っていた。

褒められているはずなのに、追い詰められていく。

それは、まるで砂漠で水を飲めば飲むほど喉が渇くような感覚だった。


私が「すごいワーママ」を目指した結果

私は、「フルタイムワーママとして完璧にこなす」ことを目指した。

雑誌やSNSで見る「理想のワーママ像」に近づこうと、あらゆる工夫を試した。

時短レシピ。作り置き。家事代行。タスク管理アプリ。

全部やった。

でも、何も変わらなかった。

いや、正確には「悪化した」。


失敗体験談①:「効率化」が生んだ新たな地獄

「時短レシピで夕飯作りを15分短縮!」という記事を見て、私は希望を抱いた。

毎日のレシピをスマホのアプリで管理し、週末に作り置きをする。平日は温めるだけ。

これで、少しは楽になるはずだった。

でも、現実は違った。

週末、私は4時間かけて10品の作り置きを作った。子供が「遊ぼう」と言っても、「ちょっと待ってね」と答え続けた。

夫はリビングでサッカー中継を見ていた。

「今日、頑張ったね」

夫はそう言った。でも、手伝おうとはしなかった。

平日、作り置きを温めながら、私は気づいた。

夕飯作りの時間は15分短くなった。でも、その15分で洗濯物を畳み、子供の宿題をチェックし、明日の準備をしていた。

「楽になる」はずの時間が、「もっとやれる時間」に変わっただけだった。

そして、もっと辛かったのは、夫の一言だった。

「最近、作り置きばっかりだね。たまには出来たての料理が食べたいな」

私は、何のために頑張っているんだろう。

その夜、私は台所で一人、泣いた。


失敗体験談②:「家事代行」が露呈させた構造的問題

「家事代行を使えば、自分の時間が持てる」

そう信じて、私は月2回、家事代行サービスを頼んだ。

掃除をプロに任せることで、週末に少しでも休めると思った。

でも、それは幻想だった。

家事代行の日、私は仕事を早退して家にいなければならなかった。(初回は立ち会いが必要だったのだ。)

「すみません、今日は早退します」

上司は眉をひそめた。

「お子さん、また体調不良ですか?」

「いえ、家事代行の立ち会いで…」

その瞬間、上司の表情が変わった。

「家事代行? 時間があるなら、残業できるんじゃないですか?」

私は何も言い返せなかった。

そして、家に帰ると、夫が言った。

「家事代行、高くない? 自分でやれば節約になるのに」

私は、何も言えなかった。

自分でやれば? 誰が?

「誰が」という主語が、いつも「私」であることに、夫は気づいていない。

家事代行は3ヶ月で辞めた。理由は「経済的負担」ではなく、「精神的負担」だった。


失敗体験談③:「頑張れば報われる」という嘘

私は、ある時期、「完璧なワーママ」を演じきろうと決めた。

朝4時起き。弁当作り。洗濯。掃除。仕事。保育園の送迎。夕飯作り。子供の宿題。寝かしつけ。

全てを完璧にこなせば、夫も認めてくれるはずだ。

職場も評価してくれるはずだ。

子供も喜んでくれるはずだ。

3ヶ月続けた。

そして、ある日、私は倒れた。

過労で、めまいと吐き気が止まらなくなった。病院で「このままだと危ない」と言われた。

でも、一番ショックだったのは、夫の言葉だった。

「無理しなくていいのに。頼めばよかったのに」

頼んだ。何度も。

「ゴミ出し、お願いできる?」
「お風呂掃除、手伝ってもらえる?」
「今日、早く帰ってきてくれる?」

でも、夫の返事はいつも同じだった。

「今忙しいから、あとで」
「疲れてるんだよね」
「明日やるよ」

「頼めばよかったのに」と言う夫は、私が何度頼んでも応えなかった事実を、記憶していなかった。

その時、私は悟った。

この構造は、私がどれだけ頑張っても変わらない。

なぜなら、問題は「私の頑張り不足」ではなく、「システムそのもの」にあるからだ。


「すごいワーママ」という呪いの正体

ここで、一度立ち止まって考えてみてほしい。

なぜ、「フルタイムワーママはすごい」と言われるのか。

それは、「普通じゃないから」だ。

では、なぜ「普通じゃない」のか。

それは、「一人で背負うことが前提になっているから」だ。

ここに、巧妙な罠がある。

社会は、ワーママに対してこう言う。

「仕事も家事も育児も、全部できるあなたは素晴らしい」

でも、本当に言うべきなのは、こうだ。

「なぜ、一人の人間が全部やらなきゃいけないシステムになってるんだ?」

「すごい」という言葉は、不平等を美談にする装置だ。

まるで、砂漠で喉が渇いている人に「水を探す努力がすごい」と褒めるようなものだ。

問題は、水がないことなのに。


私を救った「ある友人」の一言

ある日、私は友人に愚痴をこぼした。

「もう、限界なんだよね。でも、みんな頑張ってるし、私も頑張らなきゃって…」

友人は、しばらく黙ってから、こう言った。

「ねえ、あなた、『主語』が間違ってない?」

「え?」

「『私が頑張らなきゃ』じゃなくて、『私たちが頑張らなきゃ』でしょ?」

その言葉が、私の中で何かを壊した。

私は、ずっと「私」を主語にしてきた。

「私が」もっと効率的にならなきゃ。
「私が」もっと時間を作らなきゃ。
「私が」もっと強くならなきゃ。

でも、本当の主語は「私たち」だったはずだ。

夫婦は「私たち」だ。家族は「私たち」だ。

なのに、なぜ「私」だけが動いているんだ?

友人は続けた。

「あのね、あなたが倒れたら、誰が一番困ると思う?」

「…夫と子供」

「そう。でも、彼らはそれに気づいてない。なぜなら、あなたが全部やってるから」

「あなたが『すごいワーママ』を演じれば演じるほど、彼らは『自分がやらなくても回る』と学習するの」

その瞬間、私は全てを理解した。

私は、自分で自分の首を絞めていたのだ。


「逆張り」の選択:私が選んだ戦略

ここから、私の話は「一般的なワーママ改善術」から大きく外れる。

なぜなら、私は「効率化」ではなく「崩壊」を選んだからだ。


戦略①:「完璧なワーママ」を、意図的に辞めた

まず、私は「弁当作り」を辞めた。

夫と子供に、こう宣言した。

「来週から、弁当は作らない。コンビニで買ってね」

夫は驚いた。

「え? なんで?」

「疲れたから」

「でも、いつも作ってたじゃん」

「いつも作ってた」が、「これからも作るべき」にはならない。

その一言を、私は言い切った。

最初の1週間、夫は不満そうだった。でも、2週間目には自分でおにぎりを作るようになった。

これが、最初の小さな変化だった。


戦略②:「見えない家事」を、全て可視化した

次に、私は家事リストを作った。

洗濯、掃除、料理、買い物、ゴミ出し、子供の送迎、学校行事の対応、PTAの連絡、冷蔵庫の在庫管理、トイレットペーパーの補充、シャンプーの詰め替え…

全部で78項目あった。

そのリストを、リビングの壁に貼った。

夫が「これ、何?」と聞いた。

「私が毎日やってることの一覧。来週から、半分は分担してほしい」

「え、こんなにやってたの?」

「知らなかった」という言葉が、一番腹立たしかった。

でも、それを責めても意味がない。なぜなら、「見えない家事」は、文字通り「見えない」からだ。

私は、心理学でいう「認知バイアス」を利用した。

人は、「見えるもの」にしか反応しない。

だから、見えるようにした。


戦略③:「手抜き」を、堂々と宣言した

私は、夕飯に冷凍食品を使うことにした。

最初は罪悪感があった。でも、ある日、子供が言った。

「ママ、最近、ニコニコしてるね」

その言葉で、全てが報われた。

子供は、「手作り」よりも「笑顔のママ」を求めていたのだ。


戦略④:「逃げる」ことを、正当化した

私は、月に1回、一人で外出することにした。

最初、夫は「え、俺が子供見るの?」と言った。

「そう。私、リフレッシュしてくる」

「でも、俺も疲れてるんだけど」

「私も疲れてる。だから、交代で休もう」

この「交代」という概念が、夫にはなかったのだ。

夫にとって、休日は「当然休む日」だった。でも、私にとって、休日は「家事育児の日」だった。

この非対称性を、私は言語化した。


「崩壊戦略」が生んだ予想外の結果

3ヶ月後、私の生活は劇的に変わった。

でも、それは「私が楽になった」というより、「家族全体が変わった」という方が正確だ。

夫は、週3回、夕飯を作るようになった。(最初は、レトルトカレーだったけど、今では炒め物くらいは作る。)

子供は、自分で洗濯物を畳むようになった。(最初は、ぐちゃぐちゃだったけど、今ではちゃんと畳む。)

そして、私は、朝5時まで寝られるようになった。

でも、一番大きな変化は、「私の心」だった。

私は、もう「完璧なワーママ」を目指さなくなった。

代わりに、「ほどほどに生きるワーママ」になった。

そして、それで十分だと気づいた。


「すごい」と言われなくなった日

ある日、職場の先輩が言った。

「最近、楽してるんじゃない?」

私は、笑って答えた。

「そうだよ。楽してる」

「すごい」と言われなくなった。

でも、それでいい。

なぜなら、「すごい」と言われることが目標じゃないから。

私の目標は、「生きること」だ。

そして、「生き延びること」だ。


社会心理学が教える「役割固定化」の罠

ここで、少し学術的な話をしたい。

社会心理学に「役割理論(Role Theory)」という概念がある。

人は、社会から与えられた「役割」を演じ続けると、それが「自分の本質」だと錯覚する。

例えば、「母親は家事をするもの」という役割を演じ続けると、「私は家事をする人だ」というアイデンティティが形成される。

そして、その役割を手放すことが「自分を裏切ること」に感じられる。

これが、「完璧なワーママ」を辞められない理由だ。

でも、ここに重要な事実がある。

役割は、「演じるもの」であって、「本質」ではない。

私は、「完璧なワーママ」という役割を降りた。

でも、「母親」であることは辞めていない。

役割を降りることと、存在を否定することは、全く違う。


行動経済学が教える「サンクコスト」の罠

もう一つ、重要な概念を紹介したい。

行動経済学に「サンクコスト(Sunk Cost)」という概念がある。

これは、「既に投資したコストを惜しんで、間違った選択を続ける心理」のことだ。

私は、3年間、「完璧なワーママ」を演じ続けた。

朝4時起き。弁当作り。作り置き。全ての家事。

その3年間を「無駄にしたくない」という心理が、私を縛っていた。

「ここまでやったんだから、続けなきゃ」

「今更、辞めるなんて、負けた気がする」

でも、これは完全に「サンクコストの罠」だった。

過去の投資は、取り戻せない。

大切なのは、「今から先、どう生きるか」だ。

私は、3年間の「投資」を諦めた。

そして、新しい生き方を選んだ。

それは、「負け」ではなく、「戦略的撤退」だった。


「フルタイムワーママはすごい」という言葉への、私の返答

今、もし誰かが私に「フルタイムワーママって、すごいよね」と言ったら、私はこう答える。

「すごくない。ただ、生きてるだけ」

「すごい」という言葉は、もういらない。

私が欲しいのは、「大変だね」という共感でもなく、「頑張ってね」という応援でもない。

私が欲しいのは、「システムの変革」だ。

具体的には、こうだ。


提案①:「家事育児の分担」を、結婚前に契約書にする

これは、過激に聞こえるかもしれない。でも、冗談じゃない。

欧米では、「プレナップ(婚前契約書)」が一般的だ。

日本でも、結婚前に「家事育児の分担」を明文化すべきだ。

「愛があれば自然に分担される」というのは、幻想だ。

愛があっても、役割は固定化される。なぜなら、それが「社会の常識」だから。

だから、最初に決める。

「料理は週3回ずつ交代」
「洗濯は夫、掃除は妻」
「子供の送迎は、月・水・金は妻、火・木は夫」

これを、結婚前に合意する。

そして、守られなかった場合のペナルティも決める。

「3回連続で分担を破った場合、次の1ヶ月は相手の分も全てやる」

これくらい明確にしないと、変わらない。


提案②:「見えない家事」を、全て時給換算して請求する

もう一つ、過激な提案をしたい。

家事を、全て「時給換算」して、夫に請求する。

例えば、こうだ。

「洗濯(1時間)× 最低賃金(1200円)= 1200円」
「料理(1.5時間)× 最低賃金(1200円)= 1800円」
「掃除(0.5時間)× 最低賃金(1200円)= 600円」

1日の家事を時給換算すると、約5000円。月15万円。年間180万円。

これを、夫に「見える化」する。

「私、年間180万円分の無償労働してるんだけど、これ、どう思う?」

この問いに、夫がどう答えるかで、全てが決まる。


提案③:「休む権利」を、法律で保障する

最後に、社会制度の提案をしたい。

ワーママには、「強制休暇制度」が必要だ。

年に1回、1週間、完全に家事育児から解放される休暇。

この間、夫(またはパートナー)が全ての家事育児を担う。

そして、これは「任意」ではなく「義務」にする。

なぜなら、「任意」にすると、結局やらないから。


あなたへの問いかけ

ここまで読んでくれたあなたに、私は問いかけたい。

あなたは、「すごいワーママ」になりたいですか?

それとも、「生き延びるワーママ」になりたいですか?

もし、後者を選ぶなら、今すぐできることがある。


超低ハードルなスタート①:「一つだけ」辞める

今日、帰宅したら、「一つだけ」家事を辞めてみてください。

弁当作り。作り置き。洗濯物の畳み。風呂掃除。

何でもいい。一つだけ、辞める。

そして、夫に「今日から、これはあなたの担当ね」と伝える。

理由は言わなくていい。ただ、「疲れたから」でいい。


超低ハードルなスタート②:「見えない家事リスト」を作る

紙でもスマホでもいい。

あなたが毎日やっている「見えない家事」を、全部書き出してください。

トイレットペーパーの補充。シャンプーの詰め替え。冷蔵庫の在庫管理。ゴミ袋の補充。

全部、書く。

そして、それをリビングに貼る。

夫が「こんなにやってたの?」と驚いたら、成功です。


超低ハードルなスタート③:「一人で外出する日」を決める

月に1回でいい。

「来週の土曜日、私、一人で出かけるから」と宣言してください。

行き先は、どこでもいい。カフェでも、図書館でも、ショッピングでも。

大切なのは、「一人になる時間」を持つこと。

そして、その間、夫に子供を任せること。


最後に:「すごい」じゃなくて、「生きてる」

私は、もう「すごいワーママ」じゃない。

弁当は作らない。作り置きもしない。冷凍食品も使う。掃除も、週1回でいい。

でも、私は生きている。

そして、笑っている。

子供は、私の顔を見て言う。

「ママ、最近、楽しそうだね」

それが、全てだ。

「すごい」と言われることより、「楽しそう」と言われることの方が、ずっと価値がある。

なぜなら、私の目標は、「すごい人」になることじゃなくて、「幸せな人」になることだから。


私からあなたへ

もし、あなたが今、限界を感じているなら。

もし、あなたが「もう無理かもしれない」と思っているなら。

それは、あなたが「弱いから」じゃない。

それは、「システムが壊れているから」だ。

あなたは、何も悪くない。

悪いのは、一人に全てを押し付ける社会の構造だ。

だから、戦おう。

でも、「完璧なワーママ」になることで戦うんじゃない。

「システムを壊すこと」で戦うんだ。

一つずつ、役割を降りよう。

一つずつ、分担を要求しよう。

一つずつ、自分の時間を取り戻そう。

それが、あなたの戦いだ。

そして、それは「逃げ」じゃない。

それは、「戦略的撤退」だ。


「すごいワーママ」という呪いから、あなたが解放されることを願っている。

そして、「生き延びるワーママ」として、あなたが笑顔を取り戻すことを願っている。

私は、もう「すごい」と言われなくていい。

ただ、「生きてる」と言えれば、それでいい。

あなたも、そうであってほしい。

この記事を書いた人

ライター:NH

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